放置感想27台目 秋雑感等

□『コードギアス 反逆のルルーシュ』15周年再放送の新OP/EDが案の定、本編切り貼りMADだったので死んだ魚の目をしていた。先日最終回を迎えた『NIGHT HEAD 2041』(谷口悟朗監督『リヴィジョンズ』の制作を継承した作品。各話絵コンテ須永司!)の兄弟の願いの圧が復活ルルの欺瞞を粉砕してなかったら途方に暮れていた…

■『海賊王女』、『B:The Beginning』での山川吉樹の仕事ぶりが如実にわかってしまった…『B:The Beginning Succession』のリソースを本作にBETした中澤一登の明日はあるのか。

□『ひぐらしのなく頃に 卒』最終2話はしっかり観てしまった。『ひぐらし』たらしめる「執着」が極限にまで振り切れた結果、絆とか運命といったものが鬼狩柳桜とともに手放されていく様にカタルシスがあった。

放置感想 26台目『カウボーイビバップ』

■実写版『カウボーイビバップ』ネトフリ配信直前ということで、洒落たとは言い難い滑稽な実写PVがアニメのファンを不安にざわつかせている… アニメ放送から23年ということで、アニメの『ビバップ』の魅力を自分なりに整理して実写の不安から目を逸らしたい(え

□『ビバップ』の魅力、というか後のBONESアニメの魅力の核として、各話演出:武井良幸の撮影のこだわりがある。デジタル撮影の黎明とセルアニメーション撮影のピークの間で炸裂している1990年台末ならではのフレーバー。2000年初め頃にレンタルビデオのVHS画質で観てた時は『ビバップ』1話(武井演出)のブラッディ・アイ視点を表現するデジタル撮影が抜群の安定感があるセル撮影に差し込まれる違和感に戸惑っていたが、作画:鈴木典光 撮影:武井良幸コンビの「ちゃっぴぃ」によるEDアニメーションの軌跡を知っている現在では、技術的制約と成熟の間にあるデジタル撮影の趣向を楽しむことが出来るようになった(HD画質で気軽に見れるネトフリ)。武井コンテ演出の20話「道化師の鎮魂歌」23話「ブレイン・スクラッチ」は長尺のデジタル撮影が盛り込まれているが、当時のデジタル彩色等の技術的制約を、深夜に爆裂する空飛ぶ道化師やモニター越しの番組ザッピングに潜む映像ドラッグといった特異なシチュエーションで画を固めていくなかで鮮烈な色味を帯びる凄味。

■『ビバップ』の宇宙の闇に静謐なフロンティアが宿っていると感じるのは、アナログ撮影の闇と衛星放送の開拓とビデオテープの黒画面のノイズが、デジタル技術で統制される前の「入り混じった可能性」として(リマスターされたとしても)刻印されているからだ。4:3の本編画面の情景がLPレコードのジャケットのように収まっていくのが16:9のモニターで発見される『ビバップ』のヴィンテージ。

渡辺信一郎作品の「ブラックアウト」概念は「ロストジェネレーション」の「喪失」と「静謐なフロンティア」の「可能性」が入り混じっていて、『残響のテロル』は2014年の「ブラックアウト」のテーゼを、武井良幸撮影監督の『スペース☆ダンディ』は「ブラックアウト」のアンチテーゼ(2014年のアニメはブラック自体もアウトしてるじゃんよぅ。を豪華に雑多なベテランゲスト参加と明るい銀河によって…)を示していたのかも知れない(『ダンディ』監督の夏目真悟最新作『Sonny Boy』は2021年の「ブラックアウト」だった)。

放置感想25台目 2021秋アニメ移行前雑感

□今年の夏アニメ、『Artiswitch』短期集中を除けば『死神坊っちゃんと黒メイド』と『ラブライブ!スーパースター‼︎』をのらりくらりと視聴中で、少ない本数でも夏アニメ終わっていないのです。

■『死神坊っちゃん』は山川吉樹監督による『ハイスコアガール』に続くCGキャラアニメーションTVシリーズ第二弾。演出:山川吉樹桜井弘明譲りのリリカルと凹凸な人間模様のツボを押さえたパッケージング、中澤一登『B:The Beginning』を共同監督で支えたモダンな景観を月光や降雪等でキャラを含めて印象深くする撮影メソッドの、両軸の調和が見所である。黒メイド:アリスの、黒メイド時の宝石の瞳力やチラリズム長回しといったキャラCGのリソースに支えられた、坊っちゃんとの際どい騙し絵交流、黒メイド以外の服装時のモデリングの緩さをアリスの別の一面を引き出すシチュエーションで活用する、リソースコントロールの手堅さ。『ハイスコアガール』から引き続きの、本編メイン絵コンテ:佐山聖子、OPアニメーション&重要回絵コンテ:大畑清隆の演出黄金比。山川監督の『HELLS』『リトルバスターズ!』『ダンまち(一期)』『B:TB』『ハイスコアガール』の「どん底からの止揚・恢復劇」の流れを汲む『死神坊っちゃん』。

□『ラブライブ!スーパースター‼︎』は個人的に『ラブライブ!』シリーズでは『ラブライブ!サンシャイン‼︎』第一期以来の視聴復帰。『ラブライブ!』シリーズの好嫌は「ラブライブ!というスクールアイドル達の夢の舞台」を限られたスクールアイドルから尖ったリソースで描かれるところに起因すると個人的に思っており、無印『ラブライブ!』と『サンシャイン‼︎』はその歪さについていけなかった…(『虹ヶ咲』でスクールアイドルの頭数が広がったのは伝聞で知っているが…)

『スーパースター‼︎』では進学と同時にスクールアイドルの道を駆け抜けるアーティストの新星として澁谷かのん達がフォーカスされていて、ラブライブ!という大会のスケールを気にすることよりアーティストの新星の動向に関心が持てる作りになっている(ここ3話のライブはアラサーの目には眩しい色使いで…)

「アラサーから見たラブライブ!」をふと考えてしまうアラサーAパート終の自分は、従姉の従姪(「アナ雪」世代)を見守る感じで『スーパースター‼︎』を見ている節があり、1960後半生まれのハロプロ直撃世代もこういう感慨だったのでは、と。

□実写版『カウボーイビバップ』、撮影監修:武井良幸が出来なかった時点で胡蝶の夢にはならなかったわけですよ…

放置感想24台目『Artiswitch』

サンライズ制作のyoutube配信アニメ『Artiswitch』4話から見始めたけど、CGアニメでプロップ(装飾)の存在感を刻みながら縦横無尽のアニメーション・マテリアルに誘われる魅せ方にやられてしまった。そして4話は出崎統監督『おにいさまへ…』視聴者にはフックになるポイントが過剰である…

□『Artiswitch』のプロップの存在感、2017年武本康弘監督『小林さんちのメイドラゴン』の小林さん宅のプロップに負けず劣らずというか今期『メイドラゴンS』のトールとの生活で彩られるはずのプロップに魔法のかからないもどかしい現実を痛感させられる… 『Artiswitch』2話の装飾芸術とサンライズのロボットアクション感性の融合も必見である。

■『Artiswitch』の作り込みをみると、サンライズ制作予定の漫画版準拠『AKIRA』もこの質感ならCGアニメでいけそうな気がしている。

 

放置感想23台目 『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』

村瀬修功監督『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』は作品の成り立ちの仕組みの深さ(一年戦争グリプス戦役の総括『逆襲のシャア』の富野由悠季書き下ろし小説による後日談…とガンダム者がとりとめのない解説地獄に陥るアレ)を、若者たちの黄昏(ヴァケイション)の陰影に落とし込み「おしゃれ」な観光サスペンス映画として堂々とした奴なのだなと呟かずにはいられない。

■『機動戦士ガンダムNT』のどん詰まりの疲弊感(そんなアニメ制作の現場の正直な気分の顕在は嫌いになれなかった)を出し惜しみのないベテラン作画パワーとロケーションとコンポジット(撮影)で覆す『閃光のハサウェイ』第一弾。二弾目以降もベテラン作画の綱渡りを見届けつつ、コンポジットの妙味の深化と制作フローの新陳代謝を期待したい。

□各シーンで目を引いたのは、マンハンターの威嚇からそそくさと身を引くハサウェイの土産袋を伴ったリアクション(威嚇に慣れた雑多な交通と、乗り込んだタクシー内装が富野的なオネェ感)。ダバオ夜襲パートの、自失のギギを介抱するハサウェイの目先にいるマフティー組へギギを捨てて合流できないジレンマ(自失のギギの零度の描画が『人狼 JIN-ROH』的で、エメラルダとの対比でリアルなMS戦闘被災のなか寓話性がより際立つものとなっていた)。ΞG回収の為のマフティー海上ロケットの発射シークエンス(サンライズ×バンダイビジュアルのメカCGアニメの積み重ねの年月や、その関連作で度々演出でアプローチしてきた松尾衡の成果が色濃く出ている)。

■鑑賞後の後感が、ハサウェイ・ギギ・ケネスそれぞれの黄昏(ヴァケイション)がこれから続いていくところに重点が置かれ、年表の隙間をドラマで縫ってガンプラ売るよのUCスピンオフのパターンに嵌らない清々しいエゴが煌いていた。

□ギギ役の上田麗奈のハマり具合以上に「初恋を知った頃の理想」を数少ない場面で喚起させるメイス役の種崎敦美…⁉︎

放置感想22台目 まだハサ泣き出来てない/One More EMOTION

■休日開店自粛や有給取れてないので村瀬修功監督『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』本編はまだ観れてないのだが、評判のアベレージや各評の深度、主題歌『閃光』アニメPVの常軌を逸した圧縮で刺さる全編ハイエンドから、小形尚弘PによるOne More EMOTION(バンダイビジュアル!)がバンダイナムコアーツのアニメ量産期に一声として届いた現実にハサ泣きですよ…

□演出:松尾衡の存在は『機動戦士ガンダム サンダーボルト』から続投させた小形Pの『閃光のハサウェイ』を長い制作期間何があっても全編ハイエンドで完成させる意志を受け取るしかない(副監督村田和也復活とはならなかった『コードギアス 復活のルルーシュ』のようなことにはしない)。それはそれとして、松尾衡監督の新作も観たいのだった…

■次作の上映期間が空いても放送終了後にアニメ誌で度々描きおろし版権イラストで着こなしを披露していた『富豪刑事』みたいに着こなし版権でサスティナブルできるポテンシャルがあるハサウェイ達。

放置感想 21台目 『B:The Beginning Succession』

■『B:The Beginning Succession』は前作に残された(裏設定の)謎が再始動する体裁で作られた本作だが、何も始まらない(ので終わりようがない)ぼんやりとしたクリフハンガーが6話垂れ流されるだけという、プロダクションI.G×ネットフリックスの納品事故案件というべき代物だ…

□『B:TB』原作監督キャラクターデザインの中澤一登が『B:TB S』ではクリエイティブスーパーバイザーという「監修」で現場から距離を置き、クランチロール発の中澤氏オリジナルアニメ『海賊王女』に全力投球のようで、『B:TB S』では中澤一登のぼんやりとした不在がキース・フリックの拉致(からの自問自答)で顕在化されていて、前作では初志貫徹した構図ポージング動画的な気持ちよさから程遠いアニメになってしまった。前作共同監督の山川吉樹の降板も相当響いているというか、『B:TB』時点で完全燃焼したものをネトフリとの契約で無理矢理シリーズものとして納品したI.Gの罪は重い。

■『B:TB S』の監督の川崎逸郎は、脚本音響監督を兼任した監督作品は誠実な面白さが出ているが『B:TB S』では監督のみの責務(I.Gへの義理)を果たしたのみだ。『B:TB S』の質感は、川崎氏が絵コンテ演出を担当した『ノワール』の「イントッカービレ ACTE I」が決して「ACTE Ⅱ」に至らない無限地獄。

□『B:TB』2作の「消せないコードを刻む」は前作では「キル・ビル(アニメパート)の中澤一登」のしがらみを指していたが、『B:TB S』ではネットフリックスのぼんやりとしたアニメ観で作品を切り刻んでいる。「エキサイティングな」「想像が膨らむTV番組」等の謎の形容詞タグでコンテンツを管理運営してる気になって、自社コンテンツはぼんやりとしたクリフハンガーの粗造(直近の『天空侵犯』とか)で埋まるのを看過している。ネトフリが「ぼんやりとしたクリフハンガー」にどうしてもこだわりたいなら、『ナノハザード』完全アニメ化しか道は残されていない(マジで)