放置感想3台目 『B: The Beginning』Vol.1

■『B: The Beginning』(以下『B:TB』)はNetflixで観れる中澤一登「監督・原作・キャラクターデザイン・総作画監督」の2018年配信オリジナルアニメだ。

『B:TB』は『SHERLOCK』的なビジュアル化されるインテリジェンスと剣戟(対 日本刀)主体のダークヒーローアクション、親友への長年熟成された巨大な愛憎や血に塗れたボーイミーツガール等、一見交わらない要素が純黒の混沌を目指して収斂(チャンプルー)されていく。

ハードな描写だけでなく、頭脳は天才(ゲニ)だが肉体的に冴えないおじさんである主人公キース・風間・フリックと老若男女の仕事仲間が織りなすユーモア溢れた描写も全編に行き届いており、起こる事件は陰惨だがどこか居心地のよい島国(中澤一登ランド…⁈)を観光するように観れるのが『B:TB』の魅力である。

 

□個人的に、『B:TB』は「キル・ビル(アニメパート)の中澤一登」をメタ化したキャラクター達と物語構造に惹かれた。

中澤氏に対するイメージは人それぞれあると思うが、自分にとっての「キル・ビル中澤一登」以降は、キャラクターデザインとして参加してきた渡辺信一郎監督作品にある「ブラックアウト(所謂ロスジェネ)」のムードを引き受けすぎた感があり、90年代アニメーターとしてフェティシュとエッジの効いたフィルムを生み出してきたアニメスタジオのAICが00年代以降再編→解体する時流もあって、名誉以上に喪失を纏ってしまったように見えた。

監督としても、『キル・ビル Vol.1』アニメパート直近の作品で初監督ある『Parasite Dolls』(A.D.Policeシリーズ)オムニバス最終エピソードは、中澤本人が描きたがったサイコサスペンスの画が盛り込まれているが、制作AICジャパニメーション路線の斜陽(打ち切りOVAシリーズ…)とセルアニメとデジタル制作の移行期が合わさって性急な結末を強いられたものになっている。後年、AIC出身のあおきえいプロダクションI.G出身の塩谷直義が、静と動のメリハリが効いたサイコサスペンスの画とドラマをシリーズ単位で創り出しているので、中澤氏『B:TB』のシリーズ監督は遅くれてきた第一人者の印象が非常に強かった。

とはいえ「キル・ビル中澤一登」以降を、『B:TB』1話初登場時キースのやさぐれ感から解像度高く拾い上げる様は、日本アニメ(ーター)見本市の短編『コント(ころしや)1989』より面白く、1話の小型戦車暴走事件は『Parasite Dolls』のリメイクの決意が伺える仕上がりであった。「キル・ビル中澤一登」と対峙する中澤監督を見届けてる見立と動機は揃っていた。

 

■キースの描線する天才数学者の振る舞いは(同じく描線する主人公が印象的な)『イーハトーブ幻想 〜kenjiの春』『風立ちぬ』に連なる業の深い創作者の重ね合わせを想起させるし(『B:TB』8話ではキース自宅にびっしり描かれた数式を解読すると妹のキャラデザが浮かびあがる…)、一連の事件の発端となった「碑文の伝説」を解読したのも彼であり、「キル・ビル中澤一登」以降の中澤氏の業を生きるのがキースなのではないか。

キースの親友であり事件の黒幕として対峙するギルバートは、殺人鬼の不変を生きる、諦念に満ちた存在感を放つ「キル・ビル中澤一登」の生霊だ。「碑文の伝説」解読の被造物である皆月に陰惨な事件を再生産させ、殺人衝動の果てに自身をキースの手で殺させることを願って事を謀っていた。キース≒今の中澤氏に「キル・ビル中澤一登」という「消せないコードを刻む」為なら手段を選ばないのが生霊のギルバートの業だ。(Vol.2に続く)