放置感想12台目 『ウマ娘 プリティーダービー Season2』第7話のあれこれ

■今年の感想で何かと愚痴っている『ウマ娘  Season2』だが、第7話はライスシャワーの「自分の勝利を望まれないレース」へのジレンマが「おさがり」の諦念に敷かれた本編を多少なりとも揺さぶりたいものとして描かれる分、「おさがり」で敷き詰められた学園描写で酷くのたうち回ることになった…

 

□『ウマ娘 Season2』の「おさがり」、つまるところ前作Season1で築いたフォーマットの使い回しである。使い回し自体は新規カットなり編集で本編の展開に合わせて意味付を変えてくれれば問題ないのだが、2期のそれは本編制作のダメージコントロールを主眼としたもので、1期の学園に所属するウマ娘の年中行事をテンプレートと化し、創意が欠けた画面構成で、本編のウリである毎回出走するウマ娘達の出番の前後を穴埋めをする。脚本コンテ段階で美術背景リソースを渋っているのが、監督の及川啓と助監督の成田巧コンテ回で露骨に読み取れる…

 

■美術背景リソースを渋りながらの制作は、既存の美術背景に合うような画面構成を強いることであり、その場を流す為の描写で茶を濁すしかなくなる。P.A.WORKSグロス回だろうが、この縛りの中では『監獄学園』もタイタニックな学園描写=ウマ小屋描写にしかならないのだ…

 

ウマ娘の為の舞台が毎回あるからといって、ウマ娘の走りに至る過程に欺瞞があれば、握りが虚無の回転寿司の皿を見るようなもの。第7話のライスシャワーは、「おさがり」リーダーのトウカイテイオーでは暴けなかったウマ小屋としてのトレセン学園のスケールを逃げることで晒すのである。そしてミホノブルボンの創痍に目を向ければ、 Season2ウマ娘達の故障癖が作品自体の悲鳴であり、故障の表現自体の創意のなさに気づいてのたうち回るしかないのだ(ライスシャワー役の石見舞菜香がP.A.作品の『さよならの朝に約束の花をかざろう』主演なのも一層痛み入るものになっている。『さよ朝』レベルの描写を『無職転生』がTVでやっているということを含めて)。