放置感想16台目 シンへ連なる雑感と『UN-GO』10周年とか

□2009年の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』はTVアニメーションの現場と劇場アニメーションの現場の垣根を越えた技術的成熟が集約したアニメであり、『破』以降の「エヴァっぽさ」は「ヱヴァ破っぽさ」を求められたように思える。翌年の『機動戦士ガンダムUC』や2011年の『境界線上のホライゾン』や岸誠二監督作etc…  しかし『破』の盛り上がりの先には(ニア)サードインパクトが同居している不穏があり、2011年の東日本大地震以降、アニメバブルの維持の歪みが年々放送納品レベルで顕著になることで、その不穏の底の無さを痛感することになる。

■2012年『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の前年に、ノイタミナ枠で水島精二監督×會川昇脚本×BONES制作の『UN-GO』が放送。坂口安吾の著作のエッセンスを未来の戦後を舞台にリビルドした探偵ものだが、未来の戦後の退廃にある人の悪徳と正義を暴く内容が東日本大震災の影響の渦中にある私達のムードを真正面に捉えていた。『UN-GO』の水島精二會川昇BONESアニメの「エヴァっぽさ」で紡ぐ「現実とフィクション(アニメ)の接点」から生じる倫理観が、「ヱヴァ破っぽさ」を志向していないのは放送当時から感じていて、後に『ヱヴァQ』を観た時、やるせない碇シンジがそれでも歩む先にあるものを捉えようとしてたんだなと合点がいった。「心の壁(ATフィールド)」と「心の内(クオリア)」を真実の言葉として出力する「ミダマを暴く」行為、碇シンジと重なる名前の主人公:結城新十郎、新十郎と対峙する海勝鱗六が「株式会社カラーの社長:庵野秀明」を彷彿とさせる現実的な造形など、2010年代のソリッドなポストエヴァとしての『UN-GO』。

□一方、河森正治監督作品への思い入れは『劇場版マクロスF サヨナラノツバサ』で区切りがついてしまう。『地球少女アルジュナ』の有吉樹奈の変化に巻き込まれながらすれ違ってしまう大島時夫みたいな気分が1クールではなく10年のスパンで繰り広げられたのは奇跡的だったかもしれない。その後、河森監督を支えた佐藤英一監督作の『重神機パンドーラ』が「アルジュナ以降」を誠意を持って総括する姿には心動かされた…

■『ヱヴァQ』から『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』の繋ぎとしての『Fate/Grand Order』は無視できない存在だ。個人的に微妙なソシャゲアニメに触れないために課金する態度を教えてくれた作品…(mega64版5分実写エヴァ感想に続く)