放置感想 21台目 『B:The Beginning Succession』

■『B:The Beginning Succession』は前作に残された(裏設定の)謎が再始動する体裁で作られた本作だが、何も始まらない(ので終わりようがない)ぼんやりとしたクリフハンガーが6話垂れ流されるだけという、プロダクションI.G×ネットフリックスの納品事故案件というべき代物だ…

□『B:TB』原作監督キャラクターデザインの中澤一登が『B:TB S』ではクリエイティブスーパーバイザーという「監修」で現場から距離を置き、クランチロール発の中澤氏オリジナルアニメ『海賊王女』に全力投球のようで、『B:TB S』では中澤一登のぼんやりとした不在がキース・フリックの拉致(からの自問自答)で顕在化されていて、前作では初志貫徹した構図ポージング動画的な気持ちよさから程遠いアニメになってしまった。前作共同監督の山川吉樹の降板も相当響いているというか、『B:TB』時点で完全燃焼したものをネトフリとの契約で無理矢理シリーズものとして納品したI.Gの罪は重い。

■『B:TB S』の監督の川崎逸郎は、脚本音響監督を兼任した監督作品は誠実な面白さが出ているが『B:TB S』では監督のみの責務(I.Gへの義理)を果たしたのみだ。『B:TB S』の質感は、川崎氏が絵コンテ演出を担当した『ノワール』の「イントッカービレ ACTE I」が決して「ACTE Ⅱ」に至らない無限地獄。

□『B:TB』2作の「消せないコードを刻む」は前作では「キル・ビル(アニメパート)の中澤一登」のしがらみを指していたが、『B:TB S』ではネットフリックスのぼんやりとしたアニメ観で作品を切り刻んでいる。「エキサイティングな」「想像が膨らむTV番組」等の謎の形容詞タグでコンテンツを管理運営してる気になって、自社コンテンツはぼんやりとしたクリフハンガーの粗造(直近の『天空侵犯』とか)で埋まるのを看過している。ネトフリが「ぼんやりとしたクリフハンガー」にどうしてもこだわりたいなら、『ナノハザード』完全アニメ化しか道は残されていない(マジで)