放置感想20台目 鑑賞メモ2『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』

■第3村辺境のアスカ、ケンスケとの男女関係云々が冷めてしまうほど14歳のままの体が曝け出されており、使徒が一部になった生理で不眠不食のまま14年を過ごしていた、そうなる前から人工的に作られた子供と知れば、無防備になれない下着姿に悲しくてやりきれなくなる。無防備になれないアスカの下着姿が『ストライクウィッチーズ』の近寄り難いバルクホルンなのが、『破』の頃にアスカ手料理パートを担当した高村和宏美少女アニメーター人生の山あり谷ありを重ねてしまった。

□第3村でのそっくりさんとヒカリのやりとりで、林原めぐみ岩男潤子今敏監督作で主人公だった(『パプリカ』と『PERFECT BLUE』)ことを思い出すなど。(悪)夢と現実の乱反射を精緻な「リアリティ」で接合した今敏作品を見返す良い機会かもしれない。

加持リョウジJr.役の内山昂輝、『機動戦士ガンダムUC』と『DEVILMAN crybaby』のエヴァのオマージュ元のガンダムデビルマンを、エヴァっぽさに放り込んで地獄と愛が深まったリビルド2作に主演している。14年時が止まっていた碇シンジと、時が流れてシンジと同い年になった加持Jr.が並んで写るプロマイドを眺める母:葛城ミサトの「ここに注目」ですよ。

□ヴンダーに舞台が戻ってからのチルドレン隔離室の隔離具合が『PSYCHO-PASS』の執行官のそれなので、犯罪係数高めのことが起こる前振りにしか見えなかった(鈴原サクラです…)

■マイナス宇宙のシンジとミサトのリユニオンとイマジナリー空間とゲンドウ補完パート、前田真宏の『巌窟王』『(アニマトリックス短編)セカンド・ルネッサンス』新劇場版だった。巨大綾波イマジナリー、ヴンダー突撃のところで各パーツの質感がはっきり区別されているのが確認でき、第一の壁として立ちはだかる手が2D作画で、髪がセルルック、表情はフォトリアル。『破』の第10使徒に取り込まれた綾波を実存の壁を超えて繋ぎ止めるシンジの境地に辿り着くミサトの姿は、アニメとスクリーンを隔てもなお観客の目に届こうとする「まごころ」そのものだ。

□公式映像スポット(1分強のやつ)、本編ネタバレを避ける背景差し替えがあり、ダミーの背景が『ANEMONE 交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション2』ラストの朝焼けに寄せたものともとれるものだった。差し替えシーン「お前にはそう見えるのか」空間の出来事なので、さらに味わい深い。シンジが初号機用プラグスーツでぐっと決意するシーンの微妙に洗練されてないカットが本編で意表をつく組み込まれ方をしているのも良かった。

■ゲンドウ補完パート、自己のジレンマと息子との距離感のモノローグが展開される中、観客の知らない息子:碇シンジの相貌が次々と浮かんでくるところに泣かされてしまう。シン補完パートは「自分の知らない相貌」に「変わらない本質」があると「信じることができる」為のネオンジェネシス

□カヲル補完パート、山寺宏一加持リョウジとのダイアローグと月の円環柩真実が『昭和元禄落語心中』の演目のひとつとみていい。円環柩の絵面が旧テレビシリーズの無限綾波と同質なのが驚きと納得(鑑賞メモ3に続く)

放置感想19台目 鑑賞メモ:1『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』

■『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』各感想は読んで先出し映像は触れずの状態での鑑賞。新劇場版シリーズが改めて「ポストエヴァ」の作品のひとつだと告白したうえで、これまでの「ポストエヴァ」作品群の芯(シン)通す叙事詩であり噺(『昭和元禄落語心中』⁉︎)でもあり。

□映画アヴァン、真希波から切り出される「これまでのヱヴァンゲリヲン」の、シンジ達その時々の嘘のない思いと葛藤の叫びの繰り返しが「シン」新生へと誘う。『序』『破』から『Q』の画面サイズの転調がIMAX版で観といて良かったポイント。

■新劇場版シリーズ、宇多田ヒカルの主題歌、坂本真綾の鼻歌、林原めぐみの挿入歌が揃ってるの『破』『シンエヴァ』の2作で、これが最後の機会だと思うと… 『シンエヴァ』では意外な人物が一曲披露していて、文化の極みとしての歌構成がより際立つ形に。髑髏と破面がいっぱい出てくる本編なので、鷺巣詩郎の音楽の『BLEACH』味が割と引き出されてる。

□『シンエヴァ』では「ニアサー(ドインパクト)」を経た人物達との再会が大きな見所であるが、トウジ委員長ケンスケの経年した相貌と第三村の生活から喚起される感情は、自身のアニメファンの軌跡の俯瞰と回帰のうねりを伴ったものだった。殊に、トウジ役の関智一が「ポストエヴァ」作品に数多く出演しているのもあり、関さんの「ポストエヴァ」の経験と経年がニアサーを経たトウジにフィールドバックされる感触は納得と感動があった。トウジ役の関さんの『地球少女アルジュナ』の大島時夫、『無限のリヴァイアス』の尾崎イクミ、『PSYCHO-PASS』の狡噛慎也との地続きがあって、トウジの妹:鈴原サクラの、愛憎のうねりの航海が鮮烈になるのは見事というしかない。相田ケンスケ(28歳)役の岩永哲哉の芝居をもっと聴きたいとなったのは、ネタバレでは伝わってこない収穫だ。

■冒頭のパリ人理修復バトル(え)、ダ・ヴィンチ真希波、巡洋艦シールド宝具を展開するリッさん、シャンブロ砲実況する北上ぐっさんとカオス極まりないレイド戦⁉︎

□稲作そっくりさん、ハローキティそのものなので俺の全身のLCLが弾ける… 制服の上に下着を置くというのは衒いなくまごころを差し出す行為なのだ。(鑑賞メモ2に続く)

 

放置感想18台目 3月14日の『アイカツプラネット!』と『トロピカル〜ジュ!プリキュア』

エヴァの色彩に当てられっぱなしの中の『アイカツプラネット!』第10話と『トロピカル〜ジュ!プリキュア』第3話の感想。

■『アイカツプラネット!』第10話は、主人公:音羽舞桜が代理で演じてきたアバターアイドル「ハナ」を通じて、ポスト「ハナ(エヴァの相補性ニュアンス)」であることをファンに告白した上で、今の「ハナ」としてアイカツ!をファンと仲間と共に尽くしたい思いを届けた。アイカツプラネットと現実の往来で「なりたい自分になれる」勇気を育む彼女達の姿は『アイカツプラネット!』がアニメと実写の往来を実現させたからこそ届けられる「世界にひとつだけのおハナし」なのだ。

□『トロピカル〜ジュ!プリキュア』第3話は涼村さんごの「自分の好き」が現実とのギャップに揉まれながらも、最後には「自分の好き」が後回しにできない思いで立つことができる、絵コンテ:佐藤順一回。演出:飛田剛が『戦翼のシグルドリーヴァ』各話で演出コンテをやってたからなのか、さんごの雰囲気が『しぐるり』の渡来・園香に近い(さんご役の花守ゆみり、ローラ役の日高里菜も『しぐるり』出演組なのもダメ押ししてる感)。しかし、花守さんのさんごの声が日高さんの少女の真剣な感情を演じてるときの思わずもらい泣く領域に達していてトロピカってる⁉︎

 

 

 

放置感想17台目 MEGA64『Neon Genesis Evangelion in 5 Minutes』

□シンエヴァ公開前にYouTubeで観たMEGA64『5分でわかる新世紀エヴァンゲリオン』及び『5分でわかるEOE』は衝撃的なわかりやすさだった。海外のオタク「Nerd(ナード)」の生活圏(実写)で繰り広げられる『新世紀エヴァンゲリオン』のナードインパクトを刮目せよ⁉︎

■MEGA64の『5分エヴァ』は碇シンジを模したナード青年が、エヴァ主要人物を模したナード仲間と色々あったけど「でも僕はもう一度会いたいと思った。その時の気持ちは本当だと思うから」という心境に至る、潔いアダプテーションが感動と笑いを誘う。「私は人形じゃない」どころか「私達はアニメキャラじゃない」ナード達が、ナード生活圏溢れる小道具で特撮エヴァに挑む姿はMEGA64のナード文化の補完のヴィレ(意志)を受け取ってしまう。

□ナードの身体でリプレゼンテーションされる『新世紀エヴァンゲリオン』は、しばしば日本のオタクが「海外の反応」と称して抽出するナードのリアクションであることが、『5分エヴァ』を通じて「私達は都合の良い素材じゃない」と言われたようなものである(チームMEGA64自身も、ゲーム・アニメをダシにしたまがいもの集団とYouTubeコメント欄で揶揄されている様が『5分EOE』でインサートされていて、まごころは至る所にあるのだなと)。

 

 

放置感想16台目 シンへ連なる雑感と『UN-GO』10周年とか

□2009年の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』はTVアニメーションの現場と劇場アニメーションの現場の垣根を越えた技術的成熟が集約したアニメであり、『破』以降の「エヴァっぽさ」は「ヱヴァ破っぽさ」を求められたように思える。翌年の『機動戦士ガンダムUC』や2011年の『境界線上のホライゾン』や岸誠二監督作etc…  しかし『破』の盛り上がりの先には(ニア)サードインパクトが同居している不穏があり、2011年の東日本大地震以降、アニメバブルの維持の歪みが年々放送納品レベルで顕著になることで、その不穏の底の無さを痛感することになる。

■2012年『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の前年に、ノイタミナ枠で水島精二監督×會川昇脚本×BONES制作の『UN-GO』が放送。坂口安吾の著作のエッセンスを未来の戦後を舞台にリビルドした探偵ものだが、未来の戦後の退廃にある人の悪徳と正義を暴く内容が東日本大震災の影響の渦中にある私達のムードを真正面に捉えていた。『UN-GO』の水島精二會川昇BONESアニメの「エヴァっぽさ」で紡ぐ「現実とフィクション(アニメ)の接点」から生じる倫理観が、「ヱヴァ破っぽさ」を志向していないのは放送当時から感じていて、後に『ヱヴァQ』を観た時、やるせない碇シンジがそれでも歩む先にあるものを捉えようとしてたんだなと合点がいった。「心の壁(ATフィールド)」と「心の内(クオリア)」を真実の言葉として出力する「ミダマを暴く」行為、碇シンジと重なる名前の主人公:結城新十郎、新十郎と対峙する海勝鱗六が「株式会社カラーの社長:庵野秀明」を彷彿とさせる現実的な造形など、2010年代のソリッドなポストエヴァとしての『UN-GO』。

□一方、河森正治監督作品への思い入れは『劇場版マクロスF サヨナラノツバサ』で区切りがついてしまう。『地球少女アルジュナ』の有吉樹奈の変化に巻き込まれながらすれ違ってしまう大島時夫みたいな気分が1クールではなく10年のスパンで繰り広げられたのは奇跡的だったかもしれない。その後、河森監督を支えた佐藤英一監督作の『重神機パンドーラ』が「アルジュナ以降」を誠意を持って総括する姿には心動かされた…

■『ヱヴァQ』から『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』の繋ぎとしての『Fate/Grand Order』は無視できない存在だ。個人的に微妙なソシャゲアニメに触れないために課金する態度を教えてくれた作品…(mega64版5分実写エヴァ感想に続く)

放置感想14台目 シンがまだ遠い雑感とか

□シンエヴァ観る前に観た人の感想を漁って、それぞれの言葉に滲み出るまごころに圧倒される… なかの前回のエヴァ迂回の道程からの続き。

エヴァ視聴(リニューアル版)が2006年の大学2年生の頃で、一時的に一人暮らしをさせて貰ってた環境というのが、雑念なく初エヴァを頂けたのだった。20歳の年頃なので、各話の面白さ以上にミサト達の退廃的なアダルトに浸食される心地良さが優っていた…

□そんなエヴァ視聴、WEBアニメスタイルのコラムチェックの習慣化が進み、アニメ史の興味が深まって『少女革命ウテナ』視聴に至るまで時間がかからなかった(小黒祐一郎の掌の上…)。エヴァ視聴自体に挑んでよかったなと思えたのが2010年代前半頃で、エヴァに参加していた安藤真裕監督や岡村天斎監督、そして水島精二監督の各監督それぞれの「エヴァっぽさ」の練り上げを軌跡として捉えられる経験に繋がった時だった。

■2006年のエヴァ視聴から翌年『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』を観ることになるが、観た映画館が『ラーゼフォン 多元変奏曲』と同じ映画館だったり、雑誌CONTINUEでヱヴァとエウレカセブンの特集釣瓶打ちとくれば京田知己監督への興味の導線があらためて敷かれたことが重要だった…

□2009年の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』は坂本真綾が演じる真希波・マリ・イラストリアスが、台詞の息遣いで懐メロを口ずさむ姿に「菅野よう子プロデュースの主題歌を歌う坂本真綾」の魅力を超えるサムシングでやられてしまった。今となってはFGOのサバフェス的趣向が詰まったものとして『夕凪LOOP』を捉えたら良かったが、菅野よう子プロデュースから距離をとる歌手:坂本真綾にショックを受け、『劇場版 空の境界』で時代を刻む声優:坂本真綾に重きを置くようになった途端のマリですよ… 歌い手と演者のバランスがビクターエンタテインメント(現フライングドック)縛りだと窮屈に感じていたのを、サウンドトラックに組み込まなければ口ずさみとして歌を盛り込めることに気づいた関係者が偉大すぎる(次回雑記に続いてしまう)

放置感想 13台目 シンに近い雑感とか

■シンエヴァ公開、実際唐突にアナウンスされると途方に暮れるものである(2週目の平日に逃げ込むつもりだ…

エヴァの思い入れ、自分としてはポストエヴァの作品群を経由したうえでの新劇場版からの定点的摂取なので、それほどエヴァ自体を熱を持って観てたわけではないが、『地球少女アルジュナ』(20周年⁈)とか『UN-GO』(10周年!!)といったポストエヴァの「アクチュアルな視聴体験」の正体を探る為に触れてきた感じだった。

エヴァ、子供心に「おっかない」印象しかなく(『AKIRA』とか『攻殻』のメカと人肉が入り混じった描写もそうだった)、リアル中2で『アルジュナ』が直撃してもなお、貞本エヴァで距離をおいていたのだった。『アルジュナ』も「おっかない」アニメではあるが、初期デジタル制作アニメのハイエンドを目指した映像の作りや(当時DVDメディアも再生できるPS2の存在は大きかったと思う。最先端はロマンだった)、現代劇SF表現超自然体験の振れ幅を許容する岸田隆宏のキャラクターデザイン、河森正治監督の語り口や菅野よう子の音楽が明後日に行こうとも、坂本真綾の主題歌・挿入歌のビビット加減のぶれのなさで「凄いもの観たな…」と乗せられる気持ちが勝る視聴体験。『アルジュナ』放送後のアメリ同時多発テロと、PS2の『メタルギア・ソリッド2』のプレイ体験刻まれた2001年だった。『アルジュナ』からアニメージュNewtypeを購読しはじめて、小黒祐一郎の連載「この人に話を聞きたい」でアニメ関係者の接点とか幻の作品をめぐるifを垣間見るアニメの楽しさを知ったり、大塚英志サブカルチャー時評経由でエヴァをめぐる言説や富野由悠季の言説に触れたりしてエヴァ視聴がさらに遠回りになったり…

□『アルジュナ』の翌年が『ラーゼフォン』で、エヴァを忌避しながらリアルタイムでサンテレビKBS京都で『ラーゼフォン』を観て録画も観る思春期ならではの拗れ…

■『アルジュナ』後の河森監督作『マクロス ゼロ』を(内容面で)もどかしくOVAリリースなので待ちながら順次消化する間、『フリクリ』や『トップをねらえ!』(『マクロス ゼロ』が終われば『トップをねらえ2!』へ)を観てたりしてエヴァ視聴に備えるという時間もあった。

□迂回を重ねたエヴァ視聴も『劇場版 機動戦士Zガンダム』三部作で腹を括ることになった。小黒さんのWEBアニメスタイルエヴァ雑記も視聴を後押ししてもらったと思う。(次回雑記に続く)